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#13 栗山の地で自己表現を、好奇心が向かう未来|くりやまのひと

「北海道内田鍛工株会社(以下、北海道内田鍛工)」は、1973年に栗山町で操業を開始して以来、既製品から特注製品まで幅広い製品を作る多品種少量生産の会社で、電力会社向けの架線金物をはじめとした鉄製品を製造・販売しており、私たちの生活にとって必要な社会の基盤を支える存在です。

写真後ろの製品は「軽腕金(けいうでがね)」と言って、電柱上部にある配電線を支持する金物であり、北海道内にある電柱に北海道内田鍛工の製品が使用されている(撮影:西村さやか)

そんなものづくりの会社に2018年、札幌から一人の青年・橋本昇二郎(しょうじろう)さんが入社しました。文系の出身であり栗山とは縁のなかった橋本さんですが、現在では地域や栗山のために活動するリーダー的な存在です。今回は、就職活動で栗山に決めた経緯や、地域活動に目覚めた理由についてお聞きしました。


家族の好奇心の中で育った幼少期

橋本さんは札幌出身。週末や長期休みには、家族で旅行やキャンプに出掛けるアクティブな家族の元で育ちますが、自身はやや内向的な性格でした。

祖父や母が野球好きということもあり、中学時代は野球部に所属。プロ野球の本拠地球場をすべて巡ったこともあり、社会人となったいまでも札幌にある草野球チームに所属し、週末に野球を楽しんでいます。

家族の中でも、2歳上の兄・潤一郎(じゅんいちろう)さんとは大の仲良しで、お兄さんの趣味の一つである「鉄道」には強い興味を示し、自身も鉄道ファンとなるにあわせて、旅行好きにもなりました。

日本の三大鉄道博物館である「鉄道博物館(埼玉県・さいたま市)」・「リニア・鉄道館(愛知県・名古屋市)」「京都鉄道博物館(京都府・京都市)」にも巡るほど鉄道好きで、鉄道は旅行好きのキッカケともなった(画像提供:橋本昇二郎)

大学もお兄さんと同じ北海学園大学の2部(夜間部)に進学します。実家からの通学ではありますが、日中はアルバイトで学費を稼ぎ、夕方から講義を受けるというスタイルが良いと判断し、夜間の大学を選んだといいます。

夜間学部のため、大学時代はサークル活動をしにくい環境にあったが、大学のオープンキャンパスのスタッフとしてテレビの街角宣伝に出たという過去もあり、この頃から社会活動には関心があったという(撮影:西村さやか)

栗山で働くキッカケは北海道の役に立ちたいという思い

そんな好奇心旺盛な環境で育った橋本さんも、大学3年生の終わりになると、他の学生と同じく就職活動を始めることになりました。

それまで実家暮らしだった橋本さん。居心地のいい環境であることは理解していましたが、一方で両親に依存する自分がいるとも感じていました。

依存心を脱却するためにも、実家のある札幌で就職することは考えず、親元から遠く離れた東京で就職したいという気持ちとなり、就職先を東京に絞って活動していました。

当初は元々、興味があった小売やメーカーの業界の説明会や面接に参加していましたが、採用担当者や面接官に「北海道から来ました」と伝えると、とても好意的な言葉をかけられることが多くなります。

就職活動を続けるうちに、橋本さんの中で「北海道」という自分が生まれ育った場所について考えることが多くなります。考え抜いた結果、都会で働くことで一人前の社会人として働く姿よりも、北海道の会社で働き、北海道の役に立つ働き方をしたいという、一つの軸が生まれることになります。

そんな中、東京で合同企業説明会に参加している北海道内田鍛工のブースに出会うことになりました。ものづくりという自分の中では未知の業界ではありましたが、これも良い機会と捉え参加。後の会社見学会で栗山に赴く際には、都会という選択肢ではなく地方で働くことも良い、という意識に変容します。

その後、北海道内田鍛工から最初に内定をもらったご縁もあって、社会人生活を栗山で始めることになりました。

栗山での生活は不安と緊張の連続

「これまでと違う自分の世界で製品が作られる現場で、文系の自分が会社の役に立つ存在になれるかどうか、正直不安でした」と、当時の自分を思い出す橋本さん。

北海道内田鍛工では、新入社研修を三重県・四日市市にあるグループ会社の内田鍛工株式会社で一週間程度行い、その後、北海道へ戻り「プレス」・「溶接」・「めっき」・「組立」の4つの部門(加工の工程)で、実務的な研修を一ヶ月程度行います。

それぞれの部門でものづくり流れなど、基本的な内容を覚えたあとは、配属先が決まり橋本さんは現在の営業部に配属されることになりました。

撮影:伊藤昴

営業部に配属されて、当初は弊社の製品を説明できればよいのかなと思っていましたが、弊社ではお客様の要望を形にした特注製品も多くあり、それだけでは足りないとすぐ気づきました。製品の仕組みや特性を覚えたあとは鉄の加工について学び、先輩方に少しでも近づきたいと努力しました。CAD(キャド)[※]覚えるのは大変で、工学系である同期にいろいろ教えてもらいました。

コロナ禍での危機感と栗青協との出会い

栗山に来て3年が経過した2020年、仕事にも慣れてきた橋本さんでしたが、世界が新型コロナウイルスの危機に見舞われる事態となります。

橋本さんが所属する北海道内田鍛工でも、コロナ禍の影響を受け仕事の内容も変化。橋本さんの中にも危機感を覚える時期となりました。

撮影:西村さやか

コロナ禍になってお客様訪問もままならなくなり、仕事でもプライベートでも、これまで以上に主体的に動かなければならないのかな、という気持ちが芽生えはじめました。それまでは、コロナ禍になってからは特に職場と自宅の往復が多く、栗山にあるコミュニティにも参加していなかったので、これもチャンスとして捉えて、何かないか探していました。偶然にも兄の友人が栗山町青年団体協議会(以下、栗青協)」で活動していること知り、門を叩いてみることにしました。

栗青協の体験入会を経て、橋本さんは2020年11月に入会します。栗山で活動する同世代の人たちと接する機会が増えると、橋本さんの好奇心は栗山の地で花開くこととなりました。

昔からやってみたかったという動画制作にも挑戦。現在の栗青協の動画は橋本さんが担当しています。

【栗山町観光紹介】栗山町青年団体協議会ミステリーバスツアー2022
(動画元:栗山町青年団体協議会)

動画制作以外にも交流会の企画や広報活動などに積極的に参加した結果、活動姿勢が認められ、今年(2023年)の6月に橋本さんは同会長に就任。同世代のメンバーを引っ張るリーダーとなりました。

兄と趣味を共有する関係、好奇心が向かう未来

橋本さんにとってお兄さんは特別な存在です。鉄道が好きになるキッカケはお兄さんからの誘いが始まりで、高校時代の部活(放送部)に入ったキッカケも、栗青協に入会するキッカケもお兄さんでした。

橋本さんにさまざまなキッカケを与えた、お兄さんの橋本潤一郎さん。年が近いのもあってか、兄弟というよりも友達や趣味仲間に近い間柄だという(画像提供:橋本昇二郎)

ただ、橋本さんはお兄さんに依存したわけでも、同じ道を歩んだつもりでもなく、肌に合うものがお兄さんと同じものが多かっただけであり、反対に橋本さんの趣味がお兄さんに影響を与えたものも多くあるといいます。

大学生から始めた趣味であるアイドルのオタ活がその例ですね。僕は元乃木坂46の山崎怜奈さんの大ファンでして、勉強家でストイックな彼女の姿を見て熱中するようになりました。兄へアイドルの良さを熱弁したら、僕以上に兄がハマってしまいまして(笑)。趣味のハマり具合は兄のほうが上でして、弟としてはそんな兄を見て、反面教師というか少し自制していますね(笑)。

家族からいろいろな影響を受けて育った橋本さん。お兄さんや家族の存在や職場の同期、栗青協メンバーの存在が、橋本さんにとって新たな好奇心を生み出しています。

受動的・内向的な幼少期から、就職活動や社会人経験で生まれた能動的・主体的となった現在の橋本さん。栗山の地を「自己表現の場所」として、自分がやってみたいこと・してみたいことを、社会活動の中で実現していきたいと語ります。

注釈
[※]Computer Aided Design(コンピュータ支援設計)の略語。コンピュータを用いて設計をすることができるソフトウェアのこと。設計現場で手書きしていた図面をデジタル化し、コンピュータ上で再現することができる

※ 本稿は、2023年8月8日の取材をもとに、広報くりやま2023年9月号で掲載した内容を加筆しています。また、北海道空知地域創生協議会が配信する「そらち・デ・ビュー」にも掲載しています。

北海道内田鍛工株式会社の基本情報

画像提供:北海道内田鍛工株式会社

住所:〒069-1507 北海道夕張郡栗山町旭台23−81
電話:0123-72-2411
FAX:0123-72-6023
URL:https://www.utk.jp/hokkaido/index.html

文章:望月貴文(地域おこし協力隊) 写真:西村さやか(同左)
写真:伊藤昴(町総務課)

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