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#10 第2のステージは書店のカウンター|くりやまのひと

栗山にただ一つ残る書店の看板娘として

かつて、どこの商店街にもあった町の本屋さん。大型書店やネット通販が台頭し多くの町で姿を消しています。栗山町も例外ではなく、ひと昔前までは3軒の本屋がありましたが、いまでは栗山駅前に位置する(有)金岩商店を残すのみとなります。

金岩商店は、栗山の地で70年以上続くお店として多くの子供や本好きな大人の心を支えてきました。今回は、金岩商店の看板娘である金岩和恵(かずえ)さんにお話を伺います。

撮影:西村さやか

店内はコミックスのほかにも、定番の文具やキャラクターグッズ、プラモデルなどおもちゃも取り扱っている。

スポ根少女が放送部を通じてアナウンサーに憧れて

金岩さんは小学、中学、高校と栗山の学校に通う栗っ子です。中学時代は「エースをねらえ」に憧れソフトテニス部に所属し、全道大会にも出場したスポ根少女でした。

高校に進学後も引き続きテニス部に所属していましたが、DJやラジオパーソナリティーに惹かれたことや、先輩の勧めもあって放送部へ転部します。放送部は子供のころから歌が好きだった金岩さんと相性が良く、部活内でも頭角を表し、朗読部門で全国大会に出場するまでになります。放送部の活動を通じて金岩さんは将来の職業としてアナウンサーに憧れるようになり、短期大学に進路を選択することになりました。

バンド生活に明け暮れスカウト、誘いを断り上京

アナウンサーを目指して進んだ短大時代は、当初のはどこへやら、、、バンド活動に追われる日々となりました。

バンドも「自分がやりたい」と言い出したわけではなく、放送部の先輩の誘いがきっかけです。放送部に誘った先輩がバンドメンバーを募集していた時、金岩さんの歌唱力を思い出してスカウトすることになりました。

バンド活動は順調そのものであり、YAMAHA(株)が主催していたポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)にも出場し、北海道大会で受賞するほどの実力を発揮することになります。

資料:YAMAHA(1982)「Wake Up」ポピュラーソングコンテスト北海道ベストコレクションvol.2

画像は金岩さんが出場した「第23回ポプコン北海道大会」の出場者の曲が収められたレコード。同大会には当時16歳だった吉田美和氏(現DREAMS COME TRUE)の名も連ねている


バンド活動で確かな実績を積み上げた金岩さん。なんと、東京の音楽事務所からスカウトされることになります。しかしこのスカウトはバンドメンバー全員ではなく金岩さん個人のスカウトでした。

「自分が進んで始めたバンド活動では無かったから、ほかのメンバーを差し置いて東京にいって音楽をする気持ちが無かったんだよね」と金岩さん。その誘いを断る選択をします。「ただその時は、家業を継ぎたくなかったから、仲間と一緒に東京へ行きたかった」と、メンバーと共に東京で活動することになります。

メジャーデビューも歌うことに苦しみ栗山へ戻る

金岩さんは東京でロックバンド「EDEN」を結成。東京で下積み生活をスタートします。東京のライブハウスを中心に活動をする傍ら、生活費を稼ぐため、デパートのマネキン[1]として活躍します。

5年間の下積み生活を経て、井上陽水氏や忌野清志郎氏が所属したロックバンド「RCサクセション」などが所属した音楽事務所「株式会社りぼん」[2]からメジャーデビューを果たします。

資料:アルバム「DREAMILY」歌詞カード

EDENは、KAZUE(ボーカル)、TSUKASA TAKADA(ベース)、AKIO YAMAGUCHI(ドラム)、YOSHIYUKI TERASAWA(パーカッション)からなるロックグループ。活動期はそれぞれの出身地でもライブを開催。栗山で凱旋ライブを行っている

しかし、最初のアルバム「DREAMILY」[3]をリリースする直前に、金岩さんの喉にポリープができて手術をすることに。幸い大事には至らず、金岩さんの声量にも支障はありませんでしたが、デビュー直後の活動が出遅れる形になりました。

その後、バント活動の分岐となる時期には、交通事故にも遭遇。左足を骨折するという不幸に見舞われてしまいます。

いつも重要な局面のときにアクシデントが起こって、いまいち波に乗り切れなかったんだよね・・・。自分の不注意が原因というのもあるんだけど。アルバムを作成したときも喉が苦しい状態でレコーディングに取りかかったり、足を骨折していたときも病院の屋上で練習していたりと、つらい中で音楽と向き合っている時間が多かった。あと、自分たちがいい曲を作ったとしても、業界の動きの中ではどうしようも無いことも多く、音楽という華やかな世界にある負の部分も見えてきて、歌うことが苦しくなった

金岩さんは、次第に心を閉ざすようになりEDENは解散へ。栗山へ戻る決意をします。

子供の成長を見守る楽しさと新たな出会い

金岩さんは、栗山に戻り家業である書店経営の道へと進みます。現在は金岩商店の看板娘として活躍しています。

撮影:西村さやか

金岩商店には息子の金岩健人(けんと)さんも店番に入り、ニ人三脚でお店を運営している

来店する子供たちの成長をカウンター越しで見守ることが楽しみの一つ。金岩さんの小気味よい雰囲気が、子供たちにとっても安心を誘うのか、小さい頃に遊びや相談に来ていた子供が大きくなって進路の報告にやってくることも多いとか。中には万引きをする子供もいましたが、厳しく叱るなかで子供たちの寂しさを感じ取った、ともいいます。

2年前にはInstagramを始め、入荷した書籍の情報も発信しており、これまでに無かった交流も生まれているようです。

金岩さんが鬼滅の刃の新刊情報をInstagramで発信していたとき、九州在住で栗山出身の方が「書籍を購入したい」という依頼があり、金岩さんが「送料かかるよ」と返信しても「いいんです」いう返答が。当時は鬼滅ブームの真っ最中ではありましたが、その人はこの交流が縁で金岩さんのInstagramをみては、コミックスを大人買いしているようです。

Instagramではコミックスや雑誌を中心に、週3回程度発信している。コミックス上にいるキャラクターは名は「栗太郎」。金岩商店オリジナルキャラクターで書籍紹介の際には必ず登場している

周囲の好意で自分の人生ができたことに感謝

青春を捧げた「音楽」と栗山での「家業」。いずれの道も金岩さん自身で切り開いたものではないといいます。

私の人生は、自分で「●●をしたい」というものではなくて、両親や周囲の人に助けやきっかけで、自分の前にレールを整えてもらったことが多いんだよね。部活動もそうだし、音楽もそうだし、いまの仕事もそう。でも自分はイヤイヤやっているわけではなくて楽しくやっていて。不思議なものだよね

最後に、メジャーデビューまで果たした音楽活動に未練は無かったか尋ねたところ。

音楽には未練は無いね。音楽活動もあのまま続けていたら、ひどい(精神)状態になっていたかもしれないから。その一歩手前でバンドのメンバーや周囲の人の助けがあったから今の自分がいる、と考えるとほんとうに周りの人に感謝だよね

と、歌手活動にはキッパリと見切りをつけました。そんな裏表ない性格が魅力の金岩さんにとって、書店のカウンターは、天真爛漫で来店者を笑顔にさせる第2のステージとなっています。

撮影:西村さやか

店内には、親交のある栗山出身のライトノベル作家「萩鵜アキ」氏の作品もも並んでおり、栗太郎が顔を覗かせるコミックス(左下2番目)では「ゴールドロック(金岩)」(p.137)というお店が登場している

注釈
[1] デパートやショップなどで商品の説明や試食販売、実演販売などを行う販売員
[2] 2017年に法人清算
[3] 収録曲:NO!NO! LOVE AFFAIR/ALL I WANNA FEEL/BECAUSE OF LOVE/DREAMILY/風のWINDY/DARLING TONIGHT/MIDNIGHTを手にして/ロミオ&ジュリエット/WILD AND FREE/まぼろしの街で
販売元:BMGビクター株式会社(現ソニー・ミュージックレーベルズ)

※ 本稿は、2022年7月7日、7月11日及び7月29日の取材をもとに、広報くりやま2022年8月号で掲載した内容を加筆しています。

広報くりやま2022年9月

(有)金岩商店の基本情報

撮影:西村さやか

住所:〒069-1511 北海道夕張郡栗山町中央2丁目60(栗山駅から徒歩1分)
電話:0123-72-0030
営業日:月曜~土曜 ※日曜定休
時間:9:30~12:30、13:30~18:30(土曜日は18:00まで)
支払い方法:現金のみ ※図書カード利用可

文章:望月貴文(地域おこし協力隊) 写真:西村さやか(同左)

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