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#16 父の背中の奥に、自分のための活動を見つけた今|くりやまのひと

20歳~40歳までの世代が主体的にまちづくりを行う青年会議所。日本では、1949年に「明るい豊かな社会の実現を理想」とし、責任感と情熱をもった青年有志による東京青年商工会議所の創立から、JCの運動が始まります[1]。

「共に向上し合い、社会に貢献しよう」という理念[2]のもと、各地に青年会議所が創立し、栗山町では1969年に栗山町青年会議所(以下、JC)も創立。2024年で55周年を迎えました。

今回は現理事長である天野剛生(たかお)さんに、JCの活動を続けている理由や地域に対する想いについて語っていただきました。

撮影:総務課

JCOBと現役メンバーで毎年企画している栗山天満宮「合格祈願祭」で挨拶する天野さん(写真左)


日常にあった、栗山青年会議所との関わり

天野さんは栗山町出身。父である天野一彦(がずひこ)さんは、1996年・28代理事長として手腕を振るい、1990年代の栗山の地域づくりに大きく貢献した人物でした。

出典:栗山青年会議所(2019) p.39
出典:栗山青年会議所(2019) p.41

写真上は1996年の新年交礼会の様子で、壇上(左)は父・一彦さん。この頃は、コンサドーレ札幌・サンフレッチェ広島に対するふじスポーツ広場の練習場誘致や、写真下の設立30周年(1999年)では元サッカー日本代表監督・岡田武史氏(当時はコンサドーレ札幌監督)や、以降、栗山町に欠かせない人物になる栗山英樹氏を招く記念事業も開催していた

そんな父の背中を見て、天野さんは幼少期を過ごします。

父は、毎日のように家に来ていたJCの仲間と共に、町の将来を語り合っていましたね。正月休み以外はほぼそんな感じでした(笑)。当時はJCの活動自体をよく理解していなかったんですが、父に連れられてサマーキャンプやコンサドーレ札幌のイベントに参加したりしていました。家族旅行とかはほとんどなくて、JCの活動に連れられる日々でしたが、私自身は好意的に捉えていましたね。

その傾倒ぶりを聞いて「お母さんは、そんなお父さんを見てどう思っていたんですか?」という質問が、おもわず飛び出してしまいましたが、

私も以前、母に聞いたことがあったのですが「あきらめた」と言って呆れていたしたね(笑)、ただ、父が本気でJCの活動に取り組んでいたのは理解していたので、言葉には出しませんでしたが応援はしていたのだと思います。それくらい熱量があった中で私は育ちました

画像提供:天野剛生

写真は、JC25周年記念事業で栗の木を植樹したときのもの。天野さんが、サッカーが大好きなったり、お祭りなどの人が賑わうイベントを好むようになったのは、当時のJC活動に参加した賜物だという。幼少期に大きな影響を受けたことは間違いない

仲間の熱意が、自分のための活動へと繋がった

「自分もいずれは家業の印刷業(アマノデザイン株式会社)を継いで、父のようにJC活動もする」と漠然と考えていた天野さん。しかし高校2年生のときに、不幸にも家業が続けられないという憂き目に遭います。

私と妹は、高校2年生のときに両親から突然、知らされた形でした。びっくりしましたけど修学旅行にはいくことはできたり、子どもの身としてはほとんど影響はなかったですね。父は「家族に心配はさせまい」と振る舞っていたようで不自由は無かったです。

その後、JCの仲間による縁で、町外の会社が事業を継続することになり、2014年に「アマノ印刷株式会社」として会社を再生することになりました。

天野さんは高校を卒業後、岩見沢市にある建築会社で働いていましたが、会社再生を転機に、父の仕事を覚えるために入社。JCにも2015年に入会して、サケの稚魚放流会などの活動に取り組んでいました。しかし、2017年に会社は再び危機に見舞われることになります。

撮影:河津麻未

父は会社を続ける気でいましたが、病床に付しながらも伝票を整理する姿を母と見て、胸に詰まっていた想いが溢れてしまいました。その後、父が亡くなり私が家業を継ぐことも考えましたが、母は父と同じ姿をさせるわけにはいかないと考えてくれて、家族でキチンと話し合った結果、翌年2018年に会社をたたむことにしました。ありがたくも、父の知人やJCの仲間からたくさんの意見や励ましをいただきました。選択には後悔はなかったですが、しばらくは辛かったですね

自分の力が必要と言われた「原体験」

会社を清算して以降、天野さんは心を閉ざしていた時期もあったと言います。自身の生活にも余裕がなかったことも併せて、JCや地域活動も休止。無機質な日々が続いていました。

転機は2019年。JC仲間に背中を押され活動を再開することになります。

撮影:伊藤昴

心の整理がつき始めたとき、当時の理事長である山形智信(とものぶ)さんから連絡があって「天野君、君が必要だからJCに戻ってきてくれ!」と強く説得を受けたんですよね。当時は自分に自信が無かったですが、背中を押され「自分は必要とされているんだ」と実感したんですよね

復帰後は、仕事の傍らかつての父と同じようにJCの活動に専念することとなります。ふるさと田舎まつりや夕張川関連事業、スポーツ関連事業、青少年育成事業など、以前より前のめりで関わることになりました。

画像提供:天野剛生

天野さんは「これまでは漠然としていた活動が、仲間たちの説得により、はじめて『自分のための活動』に変わった」と言い、そのときの感じた気持ちが「原体験」となって、現在の活動の源泉となりました。

父の背中に追いつき、背中を見られる立場に

今年で創立55周年を迎えるJCですが、天野さんは第56代目の理事長として手腕を振るうことになり、父の背中に追いつくことになりました。

今年1月に開催した新年交礼会における理事長所信では、その気持ちが強く表れる言葉が続いています。くりやまのおとでは一部を紹介します。

子どもの頃から青年会議所歴代理事長でもある父の背中を見て育った私は、父のJC活動が遊びに連れていってくれる場で、当時のJCメンバーの皆様が楽しそうに活動している姿を目の当たりにし、私も必ずいつかは入会すると子どもながら強く思いました。ー(中略)ー多くの事業に携わる中で、父が当時のメンバーと挑戦したまちづくりの凄さが大人になり気付かされるとともに「挑戦」において大きく結果を分ける「覚悟」が人々に勇気と感動を与えてくれると感じることが出来ました。ー(中略)ーこの地域において青年会議所は覚悟ある挑戦を繰り返し地域課題に向き合い続け果敢に挑戦し、地域の発展に繋がる運動を弛まなく続けてこられました。挑戦なくして成長なしの信念のもと、メンバーと共に成長し、明るい豊かな社会を実現するためのビジョンを考え、メンバー一人ひとりが挑戦と実行する覚悟を決することで、多くの人を惹きつけ魅力が輝く地域が創造されるのです。ー(中略)ー我々の想いが届き、まちづくりに反映されることで、会員自身の喜びや成長に繋がり明るい豊かな社会へ前進すると確信しています。私自身、利他の精神を重んじ自己成長を促す青年会議所に入会していなければ、多くの出会いや学びの機会にも恵まれず他者のために行動を起こす魅力を感じずに自分本位でしか行動出来ない大人になっていたと思います。

引用:栗山青年会議所HP「理事長所信」

JCは40歳の年齢に達すると役割を終える形になりますが「卒業しても、共に歩んだ大切な仲間たちと肩を組んで飲みたいですし、これからも真剣にまちづくりを考えていきたい」と語ります。

画像提供:天野剛生

素晴らしき仲間たちとの交流も魅力の一つ。OB・現役の垣根を越えた世代間の交流から様々な経験を得られることも活動の楽しさとなっている。

現在は、記念事業の企画のため東奔西走している日々にある天野さん。「後輩や栗山の子供たちにだらしない背中を見せられません」という、静かながらも熱い想いを秘めた言葉が印象的でした。

追記:2024年6月6日

創立55周年を記念事業として、サッカー日本代表監督の森保一(はじめ)さんを招いた基調講演会を開催します。※現在は申込受付は終了しています

画像提供:栗山青年会議所

日時:2024年7月12日(金) 18:00~19:30 ※開場16:30 
会場:栗山町スポーツセンターアリーナ(夕張郡栗山町中央3丁目310)
入場:無料 
申し込み:専用のお申込みフォームより入力
 ※要事前申込、申込多数の場合は抽選となる可能性があります

栗山青年会議所の基本情報

住所:〒069-1511 夕張郡栗山町中央2丁目1(栗山商工会議所内)
TEL:0123-73-2345
FAX:同上
HP:https://www.kuriyama-jc.jp/
facebook:https://www.facebook.com/profile.php?id=100064710394976

注釈
[1]日本青年会議所HPより引用
[2]同上

参考文献
栗山青年会議所(2019)「創立50周年記念誌」
栗山青年会議所HP「理事長所信

※ 本稿は、2024年5月7日の取材をもとに広報くりやま2024年6月号で掲載した内容を加筆しています。

文章:望月貴文(文化観光プランナー) 写真:伊藤昴・河津麻未(町総務課)

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