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#9 「何かを掴みたい」と思い続けて、ここまで来ちゃった|くりやまのひと

ガラス作家として国際的な展示会に出品

2021年、国際連合は2022年を国際ガラス年(IYoG2022)」とすることを決議しました。ガラスの原料である硅砂(けいしゃ)から作られる、窓ガラスやコップといった製品は、私たちの生活に欠かせません。

国際ガラス年実行委員会が、国際ガラス年2022採択に向けたプレゼンテーションをした様子

動画元:IYOG2022

ガラスは、これまで多くの芸術家たちの創造を生み出みだしてきたものでもあります。

栗山町で芸術活動をしている中川晃(あきら)さんは、ガラス作家として東京で行われる国際ガラス年の展示会に出品を予定しています。今回は、中川さんのガラスに対する想いなどを伺いました。

画像提供:中川晃

中川さんの作品「Fly me to the Moon」
国際ガラス年2022の出品予定作でもある


ガラスの曲線美に心惹かれて

中川さんは東京都板橋区の出身。父が陶磁器の評論家でもあってか、幼少期は芸術に触れる機会が多い日々を過ごしていました。

陶芸家を志したこともありましたが「工芸(実用性のあるもの)じゃないと食えないよね」という意識もあり、小さい頃から出入りしていた陶芸家の辻清明(1927-2008)さん[1]の元に相談に行ったところ、コレクションにあるガラス工芸を発見します。

当時の日本のガラス工芸家と言えば、岩田藤七(1893-1980)[2]と各務鉱三(1896-1985)[3]しかいない時代と言われており、中川さんは、その時までガラスを工芸の素材としては認識していませんでした。

勉強不足と感じた中川さん。都内にあるガラスの展覧会を見て回る中で、舩木倭帆(1935-2013)さん[4]のガラス工芸に出会います。

「焼き物の曲線が男性的なら、ガラスの曲線は女性的だ」と、作品から中川さんは芸術性を感じとり「自分の嗜好に合っているかも」と、ガラス特有の曲線美に魅入られ、ガラス工芸の道を進むことになります。

「ヒトガタ」との出会い

高校卒業した後は、都内のガラス工場で修行した後、自身の工房を構えることを目的として小樽市にある北一硝子に転職。その後、独立し1995年から江別市で工房を構えます。

栗山に工房を移転したのは2001年から。中川さんの代表作である「ヒトガタ」栗山の地で誕生します。ヒトガタが完成されるまでの間は、自身の創作活動に迷いが生じていた時期でもありました。

当時は、制作以外のことに囚われちゃって、混沌としてたの。加えて、自分の壁というか天井が見えて辛くなってきて。そんなときに、母親が死んだ。子供の頃から複雑な思いを持っていた母親だけど、高齢だから一緒に住もうと思って、家を改造して用意はできていたのよ。でも亡くなってしまって、覚悟してたことが空(から)ぶってどうにもならなくなって。レギュレーション(規定)のものは作れるけど、新しいものを作ろうと思っても、何も浮かばない状態になった。それで、過去作ったものを、もう一度作り直すことを始めて。それが終わる頃に、「ヒトガタ」というものに行き着いた。形としてはだんだんシンプルになり、思考も達観したというか、道化(ピエロ?)になっていきました。

引用:Sow実行委員会(2017)
画像提供:中川晃

中川さんの代表作である「ヒトガタ」シリーズ
「カップに映る月」2012

栗山は、自分を見つめ直す土地として肌に合ったようで「地吹雪が工房の周りを襲ったとき、自然の中にいる感覚に襲われ、厳しい自然の中で命の重みを感じることができた」と言います。

制作の様子(イートーテン2020京都文化博物館で出展時の動画)

工房の名前が「ちゃった」になった理由(わけ)

中川さんの工房の名前は「ちゃった工房」。「ちゃった」とはなにか、その由来を聞くと中川さんはユニークに答えます。

ある公募展に出すと「制作意図を書きなさい」という欄が大抵あるんだけど、そこで講釈を垂れたって、うそやん。「自分は一本の木で、いろんな枝が分かれてかたちや内容を変えた実がなる」その中の一部だけをそれらしく書きたくない。根はもっと深いところにあるわけだし、それを簡単には言えない。だから嘘ぶいて「できちゃった」って書こうと思ったときに、独立したらこれを工房の名前にしようと思ったんだよね。音楽だって、人が選びやすいようにブルースだ、ジャズだって分けているに過ぎないでしょう。その中間には、何もないの?って。ちゃうやんな。色だって、僕は青と緑の中間色が好き。「青だ、緑だ」ってどちらか一方に決めつけられるのが嫌いなんだよ、きっと。

引用:Sow実行委員会(2017)
撮影:伊藤昴

工房内は青と緑が合わさった色で統一されており、「ちゃったカラー」と称されるこの色は、中川さんが大好きな色

祖父と父の跡を追わず、ガラス作家として

実は中川さん、美術史を研究したく学者になりたいと思っていた時期もありました。祖父・中川忠順(ただより)さんは、明治から昭和初期の東洋美術史家の権威として国宝保存法(昭和4年3月28日法律第17号・文化財保護法の前身)の草案にも携わりました。父・中川千咲(せんさく)さんも、帝国美術院附属美術研究所(現在の東京国立文化財研究所の前身)に38年間、陶磁の意匠と文様を研究する傍ら、陶磁評論家として文化財保護活動を行っています。

撮影:西村さやか

工房にあった写真は、祖父・忠順(写真前列右)さんのもの。忠順さんは岡倉天心(1863-1913) [5](前列真ん中)から古美術保存を託されたこともあったという

中川さんの生い立ちを聞いて「お坊ちゃんですね~」とイタズラっぽく質問してみると「そうなんだよ」とお茶目に返してくれました。

自分の置かれている環境が恵まれていたこと、幼い時から一流の芸術家の感性を知ることができた東京という土地にいたことを、大きな財産として感謝しているようです。

こういうことを言うと自分の首が締まるんだけど、事実だもん、受け入れなきゃ。その分、プライドをもらえるよね。「ご先祖様に恥ずかしいことをしてはいけない」っていう気持ちは一般的なものだけど、自分の場合はご先祖様がたまたま美術方面だから、その思いが強かった。

引用:Sow実行委員会(2017)

自問自答から、終わりなきガラスへの探求


中川さんは、自身が思い描く表現を行うためにはどうすればよいか、科学的なアプローチを欠かせません。取材時も、科学的な視点から自身の作品を解説してくれる場面も多くありました。

この視点を持ったのは30歳を迎えてからと言います。きっかけはNHKで放送していた「アインシュタインロマン」[6]を見たこと。

アインシュタインの創造性と構築力には驚かされてね。物事の動きを、科学といったらピンとこないんだけど、物理といったらピンとくるようになって、そこから色付け(ガラスの原料に金属の酸化物を加える工程)に幅が広がった。あの番組を見るまでは、理系が苦手だったんだけど、自分に蓋をしていただけだと解った。

作品を制作する度に必ず課題が生まれるという中川さん。代表作の「ヒトガタ」も例外ではありません。

近年のヒトガタは、目の感じが違うんだよね、昔のは頭部が空洞になっていて、後頭部をサンドブラスト[7]して光を集めるようになっているから、目が光って綺麗に見えるんだよね。最近は無垢のガラスなので、光は集めない。でも、昔の作品は自分の中で終わっちゃってるみたいで、作ろうとすると薄まっちゃうんだよね。問題と向き合っているうちに、何か新しいものができそうな気がする。そうやって会話ができるから、作品は作っていたいね。

引用:Sow実行委員会(2017)

僕は基本マゾヒズムなんですと語る中川さん。何かを掴みたいと、制作に対して「一人で課題を作って、それを苦しんで乗り越えて、また課題を作って」という自問自答を繰り返す姿勢は、終わりなきガラスへの探求に繋がります。

撮影:伊藤昴

自作でスピーカーを制作するほど音楽好きな中川さん。バンド活動としてジャズやロックのなどの幅広い音楽を演奏するほか、民族楽器の収集も趣味の一つにある。音楽は自身の創作活動になくてはならないものとも語る

※ 本稿は、2022年5月12日の取材及び参考文献をもとに、広報くりやま2022年6月号で掲載した内容を加筆しています。文中の引用箇所は、取材時に中川さんから確認した内容を掲載しています。

注釈
[1]つじせいめい、本名は「つじきよはる」。日本の陶芸家。京都多摩市に窯を築き、信楽の土を使った焼締を中心に活動し、「明る寂び」と呼ばれる美意識の表現を目指した
[2]いわたとうしち、日本のガラス工芸家。色ガラスや気泡を巧みに使った吹きガラスはガラス工芸の分野に新しい領域を開いた
[3]かがみこうぞう、日本のガラス工芸家。岩田藤七と並び、ガラス工芸を美術品の領域まで高めた
[4]ふなきしずほ、日本のガラス工芸家。倉敷民藝館の外村吉之助からもらった17世紀頃のガラス瓶に魅せられ、ガラスの制作を志す
[5]おかくらてんしん、明治時代の美術指導者、思想家。日本美術を再発見・再定義し、文化的な側面から日本を世界に伝える役割を果たした
[6]1991年に放送されたドキュメンタリー番組。全8回
[7]表面に砂などの研磨材を吹き付ける加工法のこと

参考文献
Sow実行委員会(2017)「Sow 02」Sow 北海道の工芸作家を一気に味わう展覧会フリーペーパー(札幌芸術の森工芸館・2017年10月7日~11月19日開催)

ちゃった工房の基本情報

撮影:伊藤昴

連絡先:下記のFacebookからアクセスしてください ※工房の見学不可

中川晃さんの活動履歴

イートテン GLASS Art Exhibition etoten(横浜赤レンガ倉庫1号館)
2022年3月10日~15の展示の様子

動画元:Kokoro Yoshii

●主要活動歴(個展を除く/2010年以降)
2010 ガラスアート・2010 銀座 和光並木ホール  東京
2012 「ひらめきとかたち」 妖精の森ガラス美術館 岡山
   「ガラスの波紋」 新宿 小田急百貨店 東京
   日本のガラス展(96’99’02’05’08’)東京
2014 ガラス・今日(11‘13’) 日本橋 三越百貨店本店 東京
2017  KOKOROJapanisches Glas heute フラウエナウガラス美術館 ドイツ
2018 Japanese Glass today ガラス美術館レッテ ドイツ
2019 "New Acquisitions 2018" ガラス美術館レッテ ドイツ
2022 E-to-ten(12‘~) 東京・京都・横浜・札幌
2022 -十人十色-「国際ガラス年 2022 ガラス展」 東京大学・安田講堂
●公募展(2004年以降)
2004 国際ガラス展・金沢 香林坊大和・能登島ガラス美術館   石川
2010 国際ガラス展・金沢 香林坊大和・能登島ガラス美術館   石川
2013 国際ガラス展・金沢  金沢21世紀美術館 能登島ガラス美術館  石川
●コミッション
1996 エポアホール(江別市) ブラケット
1998 札幌市厚別北中学校多目的ホール ステンドグラス
2001  江別市給食センター 外壁レリーフ
2019 ナチュの森 野外モニュメント(制作協力)
●レクチャー・デモンストレーション
2011 東京芸術大学院 ・ 女子美術大学
2013 武蔵野美術大学
2014 卯辰山工芸工房(集中講義)
●コレクション
三田市ガラス工芸館/江別市セラミックアートセンター/栗山町/
黄金崎クリスタルパーク/石川県デザインセンター/
ガラス美術館レッテ(エルンストング財団)/能登島ガラス美術館

【2022年12月2日追記】-十人十色-「国際ガラス年 2022 ガラス展」

画像提供:中川晃

東京大学内にある安田講堂の回廊にて作品展示されます。(詳細は公式サイトをご覧ください)

会期:12月8日(木) 10:00〜18:00・12月9日(金) 10:00~16:00
会場:東京大学 安田講堂
〒113-8654 東京都文京区本郷7-3-1 本郷キャンパス内
主催:国際ガラス年 2022 日本実行委員会
※カンファレンス(会議)参加者が優先で、コロナ禍で入場制限が掛かる場合があるとのこと。

文章:望月貴文(地域おこし協力隊)
写真:西村さやか(同上)、伊藤昴(栗山町総務課)

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