#14 建築のデザインは、顔が見えるコミュニケーションから|くりやまのひと
「自分の好きな家に住んでみたい」という気持ちは、人生の中で一度は夢見る機会があると思います。
人生の最大の買い物の一つと言われるマイホームの購入は、数あるライフイベントの中でもとりわけ重要なイベントです。自分が住みたい家を作る以上、信頼・安心できる人にお願いしたいもので、その夢を叶えてくれる建築家は必要不可欠です。
栗山町在住の建築家・神谷幸治(ゆきはる)さんは、栗山に設計事務所(建築士事務所)を構え、顧客との対話を意識した建築デザインを心掛けています。
今回は神谷さんから、建築家を目指した経緯や仕事で意識することについて伺いました。
工業デザイナーに憧れた少年時代
神谷さんは江別市出身、店舗デザイナーとして活躍する父親の影響もあってか図版や製図道具が身近にある環境で育ちました。そのため、神谷さんも子どもの頃から青図(あおず)[1]に車の絵を描くことも多かったと言います。
その頃の神谷さんは、父親と建築の道を歩むつもりは無かったようで、車のデザインをスケッチするうちに、おぼろげながら「工業デザイナーに携さわる仕事がしたい」と考えていたようです。
高校時代は理系の科目を選択しましたが、勉強が不得手であったことと具体的な進路が漠然としていたことが影響してか、大学受験は失敗に終わります。
浪人経験の中で自分を向き合い、建築の道へ
浪人時代は「自分の将来の道を見つめ直す良い時間」と語る神谷さん。
当初の夢である工業デザイナーの道も引き続き考えていましたが、浪人生活の中で読んだ、プロダクトデザイナーの本から「建築を学ぶことは、家具などで商品といったプロダクト(製品)を作るために繋がる」という言葉に出逢います。父親と同じ道になるのか、という複雑な思いもありましたが、建築を志望する選択肢はアリかなと感じる様になり、縁あって北海学園大学工学部建築学科に進むことになりました。
「ダメ学生」と自称する大学生活でしたが、学年が上がるにつれ、自分の興味・関心がある学問が多くなり、建築の仕組みや図面を引く楽しさや美しさを学びとともに実感してきたと言います。
建築家として進路を大きく決めたのは、大学3年生にインターンとして道内の設計事務所に研修をしていた時期でした。
大学卒業後は東京に向かい、希望するいくつかの設計事務所の門を叩き、第一希望である設計事務所に就職することができました。
顔が見えるコミュニケーションに喜びを感じた下積み時代
東京での下積み経験は、神谷さんの仕事の源流となる「顔が見えるコミュニケーション」を学ぶことが多かったと言います。
当時の設計事務所は個人住宅の設計を受け持つことが多く、クライアント(施主)や現場監督と直に話す場面も多くありました。自分がイメージするデザインと相手が求めているデザインが異なる場合に、コミュケーションを重ねることで、当初のイメージよりもより良いデザインへと繋がる場面は、神谷さんに大きな喜びとなりました。
東京で一通りの経験を踏んだあとは、札幌へ戻る機会があり退職。フリーランスとして設計事務所に顔を出しながら、独立に向けて自分に必要なスキルの取得や、一級建築士合格ために勉強や図面に向き合う日々が続きました。そんな折り、友人の紹介もあり栗山町在住の女性と出会い結婚。2013年に子どもの誕生を期に、栗山に移住することになります。
移住後は、独立に向けて設計事務所の設立に必要な管理建築士[2]取得のため、札幌の設計事務所で3年間の修行を経て、2016年に「空間工作所」(現・合同会社Qukan 一級建築士事務所)を設立。念願の独立となりました。
大学時代の同窓生との共同プロジェクト
「独立後は不安でした」と振り返る神谷さんでしたが、まもなく大学時代で同窓生で施工業[3]を営む高瀬英憲(ひでのり)さんから連絡を受けます。
高瀬さんから「自身が担当している設計デザインを手伝ってくれないか」という依頼を受け、さまざまな設計に携わった実績を買われた神谷さんは、「代々木町の家」(2017年・江別市)をデザインすることになりました。
独立後に、早い段階で生活の糧と自身の実績を得たことは、思いがけない幸運だったという神谷さん。「代々木町の家」のデザインはクライアント(施主)の同僚から目が留まり、「□house」(2018年・江別市)を設計依頼へと繋がります。
その後、高瀬さんとは「QUKAN x TAKASE」というユニットプロジェクトを起ち上げ「公園横の開口」(2019年・江別市)、「伏古の屋根裏」(2021年・札幌市)など、共同で設計しています。
下積みでの経験が仕事の根幹に繋がる
冒頭で紹介した栗山町の生花店「ナカイフローリスト」は、町内在住の古野善昭さんと共同設計した店舗で、店舗デザイン(内装)も神谷さんが担当しました。
工事の9割を町内の施工者(有限会社山崎建設等)が携わった点を評価され、北海道建築士事務所協会札幌支部の「きらりと光る北の建築」優秀賞を受賞しました[4]。
神谷さんの「顔が見える間柄だからこそコミュニケーションを重ね、対話の中にあるヒントを基に設計することで、お互いが望む以上の表現(デザイン)が可能になる」という考えは、東京都で5年間、札幌市で10年間の下積み経験からきたものです。
最近は、チームで動くことも多くなってきた神谷さん。「関わる人が増えても、これまでと変わらずコミュニケーションを意識して、自分の仕事を磨き続けたいです」と語ります。
注釈
[1]図面の一種で「青焼き」とも呼ばれる。図面の多くは、トレーシングペーパーに作図され、複写機(青焼機)で複製される図面のこと
[2]独立して設計事務所を開設するためには専任の管理建築士を置く必要があり、原則として建築士事務所に所属する建築士として3年以上の設計等の業務に従事し、管理建築士講習の課程を修了することが条件となる
[3]設計と対となる建築工事を手がける事業者のこと
[4]北海道新聞「古野さん、神谷さん設計 工事の9割、町内業者*栗山の生花店『北の建築』賞*『皆で受賞したよう』と歓喜」(2023年2月21日付け記事)
※ 本稿は、2023年10月5日の取材をもとに、広報くりやま2023年11月号で掲載した内容を加筆しています。