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#15 女子サッカーのプロの舞台に挑戦|くりやまのひと

先日、女子サッカー日本代表(以下、なでしこジャパン)がアジア最終予選で2024年パリオリンピック出場の切符を手にしましたが、その多くの選手が女子プロサッカーリーグ「WEリーグ」に所属しています。

WEリーグは2021年から発足した国内最高峰の女子プロサッカーリーグ


そのリーグに加盟するチーム「AC長野パルセイロレディース」に、栗山町出身でサッカー少年団「くりやまFC」に所属した、髙野瀬紫苑(こうのせしおん、神奈川大学4年生)さんが選手として加入しました[1]。栗山町出身の女子サッカー選手誕生は、初めてとなります[2]。

髙野瀬さんの活躍は、スポーツ新聞[3]やWEB記事[4]でも取り上げられ、来シーズンからの飛躍が大きく期待されています。

今回は髙野瀬さんから、これまでサッカー人生の振り返りや今後の目標などについて聞いてみました。

写真提供:神奈川大学

2023年12月に神奈川大学で行われた入団会見


勝つ喜びを学んだ少年団時代

髙野瀬さんは2001年(平成13年)生まれ、小さいころから体を動かすことが大好きというアクティブな性格であり、男女の分け隔てなく遊んでいたと話します。

サッカーを始めたきっかけは二つ下の弟によるもので。くりやまFCでサッカーを始める姿を見ていつの間にか影響されていたようで、10歳でチームへの入団を決めました。

当時は、先輩に数人の女子選手も所属していましたが、同級生は0人。小学6年生になると仲良しの女友達1人が入団しましたが、常に男子に混ざりながらプレーだったと言います。

所蔵:総務課

チビリンピック全道少年(8人制)大会空知地区予選大会で優勝を果たし、髙野瀬さん(写真右手前)は、全道大会進出の表敬訪問した(2012年)

「当時はほぼ毎回全道規模の大会まで勝ち上がっており、サッカーがとても楽しかった。男子との実力差も大きく感じることもなく、勝つ喜びを感じられる日々でした」と語る高野瀬さん。

小学校卒業後は中学校の部活動には入部せず、本格的に女子サッカーの道を極めるため、町外からの女子選手も集まるクラブチーム「サンクFCくりやまU-15」に3年間所属します。 

「勝つ喜び」の舞台は全国の舞台へ

高校では女子サッカー部のある北海道文教大学明清高等学校(以下、明清高校 ※現在は北海道文教大学附属高等学校)に入学します。

高校の校舎は札幌市(現在、恵庭市)にあったため、15歳で初めて親元を離れての寮生活を行うこととなり、活躍の舞台を町外に移しました。

写真提供:髙野瀬紫苑

明清高校は、北海道の女子サッカーの強豪校。なでしこジャパンのメンバーとして2011年女子サッカーFIFAワールドカップ優勝にも貢献した、髙瀬愛実(めぐみ)選手(INAC神戸レオネッサ所属)の出身校でもあり、毎年道内から多くの選手たちが入学する

当然、プロ選手や名門大学へ入学も意識するような環境でのスタートとなりますが、当時からその後を見据えて学校を選んだわけではなかったといいます。

小中学校時代から”勝つ喜び”を感じる日々でしたが、全国大会に出場したことはありませんでした。「とにかく全国の舞台に行きたい」という気持ちで学校を選びました。

また、入学時は主にMF(ミッドフィルダー)でしたが、この頃から正ポジションであるDF(ディフェンダー)のCB(センターバック)を確立。

チームの主力として主将も務め、チームを引っ張る存在として高いレベルでのプレーをしました。

写真提供:髙野瀬紫苑

髙野瀬さんの思いは現実となり、高校1年生から皇后杯や全日本選手権など、全国の舞台でプレーしました。

また、3年生時には出場したすべての全道大会(インターハイ、北海道女子サッカーリーグ、皇后杯、全日本選手権)を制覇し、見事4冠を達成するなど北海道No.1チームとして実力をいかんなく発揮。

夢の舞台を数多く経験したことで、さらに上のレベルでプレーがしたいと思った髙野瀬さんは、卒業後は女子サッカーの名門である神奈川大学への進学を決めます。

全国からプロの舞台

写真提供:髙野瀬紫苑

神奈川大学では、約60人という全国から集まった選手たちが所属するチームであり、ポジション争いも大激戦。しかし、持ち前の実力とプレースタイルを十分に発揮し、高校と同じく主将を務めるなどチームの指令塔として活躍するなかで、自身の気持ちも少しずつ変化していったといいます。

大学入学時はプロの舞台を見据えていたわけではなく「サッカーを続けたい」という気持ちでプレーしていましたが、日々の試合での経験、プレーに対する周囲の反応、プロ選手や日本代表選手との交流など、身近なできごとを経ていくうちに、自然と高いレベルを意識するように変わってきました。

やがて、目の前の勝利に貪欲に取り組む熱い姿勢は、やがてプロチームの目にも留まり、新たな舞台への第一歩を踏み出します

栗山町から世界へ。恩返しはプレーで見せる

プロへの挑戦が決まり、同級生やかつての恩師、地域の皆さんなどから多くの連絡が届いたといいます。

今年1月16日には、母校や恩師の元への挨拶に回り、夜にはサッカー人生の原点である、くりやまFCの練習にも参加しました。

撮影:伊藤昴

練習後、くりやまFCの子どもたちにエールを送る高野瀬さん(写真中央左)

栗山町の好きなところは人があたたかいところ。町を離れてからも、SNSや両親伝えで応援の声は届いており、自分の励みになっていました。小さいころから多くの町の人との関わりがあって、そしてサッカーにも出会えた。恵まれた環境で育ってきたんだなと改めて思います」と話します。また、少年団時代の地域の指導者には感謝の気持ちで一杯です。あの頃の時間が今につながっているんだと、日々実感しています。やんちゃな世代で迷惑をかけたかと思いますが、大人になった今だからこそ、当時かけてくれた言葉や指導の意図が分かった気がします

これからの目標を聞くと「まずは試合に出ること。チームのレギュラークラスのメンバーに食い込めるように頑張りたい。これまで関わっていただいた指導者やチームメイト、そして両親への感謝を忘れず、プレーで恩返しができるように頑張りたいですと話していました。

栗山から全国、そして世界へ。目指すは「なでしこジャパン」。これからの活躍を楽しみにしています。

撮影:伊藤昴

くりやまFCの皆さん(5・6年生)との集合写真。頑張れ!髙野瀬さん!

注釈
[1]AC長野パルセイロレディース「髙野瀬紫苑選手の加入内定記者会見が開催されました」(2023年12月19日付け記事)
[2]プロでプレーする栗山町出身の選手は、男子では藤村怜(れん)選手(北海道コンサドーレ札幌[2018→2022]→いわてグルージャ盛岡[2023])→ザスパ群馬[2024~])以来となり、男子を含めると2人目となる。
[3]スポーツ報知「道文教大明清出身の神奈川大女子サッカー部・髙野瀬紫苑がWEリーグ長野からなでしこ目指す」(2024年2月3日付け記事)
[4]タウンニュース(神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙)「神奈川大学女子サッカー髙野瀬さん、WEリーグに長野パルセイロ 加入内定」(2024年1月25日付け記事)

※本稿は、2024年1月18日の取材をもとに、広報くりやま2024年3月号で掲載した内容を加筆しています。

文章・写真:伊藤昴(町総務課)

AC長野パルセイロレディースの基本情報

1990年1月15日創立。
ACはアスレチッククラブの略。ポルトガル語でパートナーを意味するパルセイロ(PARCEIRO)をチーム名としています。1990年に長野県北信地域の高校出身のメンバーを中心に立ち上がったサッカークラブ「長野エルザSC」が、2007年にJリーグ参入を目指すために法人化。 「AC長野パルセイロ」としてスタートしました。2010年には女子サッカーチームの「大原学園JaSRA女子サッカークラブ」を移管し、AC長野パルセイロ・レディースが誕生しました。また、地域密着を同じ活動理念として掲げるアイスホッケーチーム、バドミントンチームとパルセイロの名前を共有し、共に活動をしています。

AC長野パルセイロ・レディースHPより引用


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