#6 文学少女から、知の拠点を預かる専門家へ|くりやまのひと
文化施設である図書館、図書館を支える「司書」
美術館や博物館とともに、住民の文化芸術活動の場である図書館。その図書館は、「司書」という文字通り「書」物を「司」る専門家によって支えられています。
北海道栗山町も、公共図書館として「栗山町図書館」が所在しており、司書の一人である野澤香(かほり)さんは、司書を統括する立場にいます。
今回は、野澤さんに司書になった理由と、これからの栗山町図書館について話しを伺いました。
友人の夢をもらい、自分の夢とした
野澤さんは、北海道札幌市の出身。小学校入学前に両親の都合により、高校まで北海道泊村で育ちます。
司書というと「本が好き」というイメージがあります。昔から本は好きだったのか、と野澤さんに聞くと「本は好きではない」とキッパリと否定します。では、なぜ司書になりたかったのか、と尋ねると、次のように話してくれました。
その後も、節目、節目で自分の夢を「司書」と、書き続けることになります。その行為が「自分の夢=司書」という自己暗示となり、自分は司書になるんだと強く願うことになりました。中学、高校時代も同様に、司書を夢としており、大学進学も、司書資格が取得可能な大学を選択しました。
大学生になり、いざ本格的に夢に向けて動きだすと、司書という職業は採用数が少なく、正職員として働くには「狭き門」であることを理解します。しかし野澤さんは「自分がなれないはずない」と謎の自信を持っていました。
就職活動も司書の一本に絞ります。当時、正職員として募集していた北海道の公共図書館は、余市町と栗山町の二つ。野澤さんは「見知らぬ土地が良い」という理由で栗山町を選びます。
面接では、謎の自信が信念として面接官に伝わり、採用枠1名の壁を見事突破。栗山町図書館で念願の司書として働き始めます。
本当に「本が好きではない」のか
さて、ここまで野澤さんが司書になった経緯を紹介しました。野澤さんは、昔は「本は好きではない」とキッパリと否定していましたが、果たして、本人が言うほど、本が好きではなかったのでしょうか。少し野澤さんの幼少期を振り返ってみましょう。
まず、野澤さんが本を読み始めたのは小学2年の頃になります。実家の本棚にある、お母さんの村上春樹の「カンガルー日和」を読んだことがきっかけです。小学生の野澤さんにとって、当時の村上春樹の文体が刺激的だったようで、いけない事をしている訳ではないのに、両親に内緒で読みふけっていたといいます。
中学の頃は、内容を完全に理解しないまでも、タイトルのかっこよさに惹かれ、キルケゴールの「死に至る病」や、ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」といった本を手に取っていました。
また、中学の修学旅行では、見学先の計画を自ら買って出ており、旅行先を東京から東北へ変更。メインの見学先を「宮沢賢治記念館」とし、古典の先生を喜ばせていたと言います。
これらのエピソードは一例に過ぎませんが、これだけ見ても野澤さんは、相応の「文学少女」として、幼少期を歩んでいたと推察できます。
司書として、これからの図書館とどう向き合うのか
一人の文学少女が、栗山の地で念願の司書として働き始めることになりました。野澤さんに、実際の司書の仕事を聞くと「大好きな仕事です」と答えます。
当然、就職前に想い描いていた仕事と、実際の仕事にはギャップがあった場面もあったようです。「図書館は0歳から100歳までが利用する場所」と、頭では理解していましたが、子供たちに対して「絵本を読む」という行為は、大学の座学でしか学んでいなかったため、実際の司書の仕事として接することで、実践と理論の交わりにより理解を深めていくことになります。
司書の仕事は、本の貸し借りだけではありません、開架の整理や本の修理、本の選定、蔵書点検、新刊を案内するためのPOPを作成など、利用者が心地よく利用できるための仕事がたくさんあります。
現在は、司書を統括する立場にある野澤さん。これからの図書館をどうしていきたいかを聞くと、「図書館学の五原則」に誠実でありたい、と言います。
最後に、図書館学の5原則を次のとおり整理しています。栗山の知の拠点を守る一人の司書の本懐を読み取ってください。
【参考文献】
・S.R.ランガナタン著・森耕一訳(1981)『図書館学の五法則』日本図書館協会
栗山町図書館の基本情報
2021年8月1日から電子図書館をスタートしています。
※ 本稿は、2021年8月23日に行った取材をもとに作成しています。