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#4 移住者と栗山を繋ぐ、等身大のコーディネーター|くりやまのひと

栗山への移住を考える最初の入口として

「くりエイトするまち栗山町」というキャッチコピーがあります。一度は聞いたことがあるという栗山町民は多いはず。このコピーは町のシティプロモーションの一環として、町の若者定住推進課が実施しているもので、他にも「くりやまクリエイターズマーケット」や「くりやまサポーター」といった、20代・30代の若者世代をターゲットにしたプロモーション活動を行っています。

その若者定住推進課に「移住コーディネーター」の肩書きで、移住希望者と栗山を繋ぐ一人の女性がいます。栗山に移住して14年目、3人のお子さんを持つ腰本江里沙(えりさ)さんです。

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「くりやまクリエイターズマーケット」の外観。栗山駅から徒歩2分のところにあり、道外・道内の移住希望者の入口となるよう、移住相談スペースがある(写真:長広大)

今回は腰本さんから、栗山に移住してきた理由や、なぜ移住コーディネーターになったのか伺いました。

悩みや不安を分かちあえる存在に支えられた幼少期

腰本さんは、北海道オホーツク管内にある雄武(おうむ)町の出身で、実家が漁師でした。ご自身の幼少期を振り返ると「自分の性格が周囲の環境となかなか合わなかった」といいます。

小学生から運動以外の教科は得意で、学級委員や生徒会活動にも積極的に参加していたという優等生でした。そのため発言することも多くあり、上級生にも感じたことを素直にぶつけることも。

「お山の大将」だった、と語る腰本さんでしたが、先生や友達など自分を本当に理解してくれる人が必ず身近にいたようで、周囲の人へ悩みや不安を分かちあうことができる存在が、腰本さんの成長の支えとなります。

小学・中学ともに地元の学校、高校も地元の高校を考えていましたが、一つの転機が訪れます。中学3年生のときに、町の事業であるアメリカ大陸を巡るプログラムに参加したことです。その体験から、もともと好きだった英語への興味がさらに強くなり、自身の進路として意識するようになります。進路を地元の高校ではなく、当時、英語科があった旭川北高校を選択。下宿先から高校に通うこととなります。

英語科へ進むも、実践的な授業よりも文法の授業といった座学が多く、学校のカリキュラムに疑問を持ち始めるようになり、次第に英語に対して関心が薄れていきます。次の進路を考えたときには、英語以外に興味を求めており、英文科の大学を選択せず、島根大学の法文学部に進学します。

島根生活での価値観の変化、社会人で生まれた苦悩

島根での大学生活は、腰本さんにとって貴重な4年間となりました。遠い北海道から来た一人の女学生を、島根の人々は暖かく迎えてくれました。

当初は、独特な島根の方言に悩まされていましたが、徐々に慣れていきます。所持金が6円しかないときには、アルバイト先の居酒屋でご飯を食べさせてもらったり、近くの町へ旅に興じて、地元の人と会話を重ね島根の生活を謳歌します。

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島根の海岸で同級生たちと遊ぶ腰本さん(写真左端)。島根県は、長野県、山梨県に次ぐ移住希望先人気ランキング第3位となっている(出典:ふるさと回帰支援センター「移住希望地ランキング2015」より)。島根の風土に触れ、人とのふれあいに強く喜びを感じた4年間だった。(画像提供:腰本江里沙)

大学生活が終わり、英会話教室の事務職員として、隣の鳥取県で働きはじめます。一度、英語から離れてみて、改めて英語に愛着を持っていたことと、英会話教室の経営について学んでみたい、という理由からの選択でした。

しかし、社会人生活では理想と現実のギャップに苦しみ始めます。仕事としては生徒さんと接することに楽しさを見出していた一方で、上司の指示に対して疑問を抱くことが多く、組織の考えに馴染むことはできませんでした。

そのような職場環境の中で継続して働くことが難しくなり、仕事を辞めて地元の雄武町に戻ることになります。

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英会話教室で働いていたとき、上司に「お金(契約)のこと以外で、生徒さんと話す必要がない」と言われたことが一番の衝撃を受けたと語る。腰本さんも、経営を考えると一定の理解はしつつも、生徒さんのモチベーターとして会話を通じて距離を縮めていた。その甲斐もあり、一部の生徒さんとは時と場所が離れても、年賀状のやりとりを続けている間柄だ(写真:長広大)

夫との出会いで栗山へ、子育ての苦悩と栗山への感謝

地元に戻り、実家の漁師の手伝いをしていた腰本さん。地元での生活では、自身の悩みと迷いが入り交じる期間だったようです。

迷いもある中、腰本さんは一念発起し、北海道江別市で事務職として働きはじめますが、そこでも上司と折り合いがつかない日々を過ごしていました。

しかし、江別へ移住したのがきっかけで、夫となる看護師の男性と仲を深めることとなり、そのまま結婚へと進みます。専業主婦として栗山に生活の拠点を移し出産を経験。ここ栗山で母親として子育てに奮闘することとなります。

雄武と栗山の距離は遠く、身近な親族が少なかった腰本さん。子育ては大苦戦でしたが、栗山の「子育て支援センター スキップの職員やほかの親子の存在が、腰本さんの心の拠り所となりました。

子育て上の悩みや相談を通じて支援を受け続ける中、栗山の農家のアルバイトなど、子育て以外にも、人との接点が少しずつ生まれるようになり、自身や家族のこれからについて考える時間が多くなっていきます。

その余裕が、くりやまクリエイターズマーケットで出品する機会に繋がります。クリエイターズマーケットの存在により、自分の人間関係が爆発的に広がったと語る腰本さん。共通の趣味を持つ仲間や役場職員との交流により、腰本さんの人生観に大きなうねりが生まれはじめます。

活動の中、移住コーディネーターの応募を知り、自分が社会人として本気になって仕事を取り組める「最後のチャンス」として応募。無事、採用され、2019年4月から移住コーディネーターとして、新たな道を歩み始めます。

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くりやまクリエイターズマーケットの店内には、ハンドメイドマーケットプレイスを運営しているCreema(クリーマ)と連携して実施した、栗をテーマにしたハンドメイド作品が、全国から集合している(写真:長広大)

移住者として3児の母として、どう栗山を伝えていくか?

移住者であり、お母さんの一面ものぞかせる腰本さん。移住コーディネーターとして3年目を迎え、多くの町民と知り合うと、栗山に対して熱い想いを持つ人が多くいることに、驚かされているようです。

また、移住希望者からは、栗山は自然にあふれており、札幌や新千歳空港から近く、利便性も兼ね備えている場所であること、農業や酒蔵といった自然と歴史が調和されていること、といったイメージを持たれているようです。

しかし新型コロナウイルスの影響により、対面で移住希望者と接する機会が激減。これまでの活動が難しくなってきている現実を迎える中、オンラインでの接触を踏まえ、どのようにアプローチしていけばよいか、日々、勉強の身であります。

腰本さんは、某バラエティー番組に出てくる「第一村人」でありたいといいます。栗山の良い点、悪い点、便利な面、不便な面、これらを包み隠さずに伝え、美辞麗句を並べるのではなく、栗山のリアルを希望者に伝えることを心掛けています。

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小学生時代から文通をしていたという腰本さん。今でも手紙を書くことが好きで、写真のとおり移住希望者へ手紙やはがき、カードを送ることも多い。これまでの人生は人に恵まれていた、と語る腰本さんにとって、デジタルが主流となった時代でも、アナログで伝わる繋がりを大切にしている(画像提供:腰本江里沙)

腰本さんという等身大の移住コーディネーターが、今後どのような発信を続けていくのか、乞うご期待です。

※ 本稿は、2021年7月13日に行った取材をもとに作成しています。

文章:望月貴文(地域おこし協力隊) 写真:長広大(同左)

追記:2021年8月31日

北海道での暮らしや仕事をテーマに、その土地で働く人や生活スタイルを紹介する、WEBマガジン「くらしごと」にも、腰本さんが紹介されています。

出典:株式会社 北海道アルバイト情報社

くりやまクリエイターズマーケットの基本情報

住所:〒069-1511 北海道夕張郡栗山町中央3-6-1(栗山駅から徒歩2分)
電話:0123-73-7521 ※栗山町若者定住推進課(平日8:30~17:15)
営業日:不定休
時間:11:00~17:00
HP:https://sundekuri.kuriyama-iju.com/create/


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