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#3 昆虫に魅せられた少女が、選んだ素直な進路とは|くりやまのひと

栗山町の象徴的な存在である「オオムラサキ」

栗山町は、国蝶オオムラサキの生息地の国内北東限地であり、自然あふれる場所に生息している美しい蝶は、自然教育に力を入れている栗山にとって、シンボルともいえる大切な存在です。

そのオオムラサキを飼育・展示している「オオムラサキ館」。そこで働く川名いつみさんは、栗山の自然や自然教育活動を陰から支えている一人です。

昆虫に魅了され、ここ栗山の地で働くことを夢見ていた川名さん。川名さんの昆虫に対する想いはどのようなものなのかを、自身の進路を交えて聞いてみました。

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オオムラサキ館は町立の施設で、NPO法人雨煙別学校が自然体験学習を中心とした教育活動として管理・運営を行っている。オオムラサキ館にはオオムラサキのほかにも写真のキアゲハなど、栗山に住んでいる様々なチョウや、クワガタといった昆虫、ヘビやトカゲといった爬虫類も飼育している(写真:望月貴文)

虫嫌いだった幼稚園児が栗山の森に魅せられて

川名さんは北海道苫小牧市の出身。おじいさんの大好きな釣りによく付き合うおじいちゃん子でした。釣りは趣味として現在も続けており、休日にはよく苫小牧の港に向かい、釣りに興じています。

昆虫は最初から好きと言うわけではなく、幼稚園までは生き物全般が大嫌いだったようです。虫特有の動きや見た目が夢に出て、うなされることもありましたが、お父さんに栗山のファーブルの森へ連れて行かれたことがきっかけで、昆虫好きに目覚めることとなります。

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ファーブルの森入口。川名さんが通っていた頃には、階段を上ったところに飼育施設があったが、飼育施設は2018年にオオムラサキ館へ移転している(写真:望月貴文)

昆虫好きになってから、毎日のように小学校の下校中に、草むらに向かい虫を追いかけ観察していました。家に帰るのが遅れ、ご両親から怒られたこともよくあったようです。

学年が上がるにつれ、近所の下級生を引き連れて昆虫の観察に出かけていました。残念ながら昆虫好きな女の子は、ほとんどいなかったようですが、川名さん自身は中学入学後も、観察を続けていきます。

中学生になり、昆虫を捕まえ観察し続けるにつれ、お父さんと一緒にいくファーブルの森で働きたい、という想いが芽生え始めます。中学3年生の時に訪れた際、飼育員の方にどうやったら働けるか尋ねたところ、飼育員は「うーん分からないけど、今、北海道大学の学生が職業体験しているよ」という何気ない一言に、川名さんは「北大生になればここで働けるのか」という大きな勘違いをしてしまいます。

幸か不幸か、その勘違いが川名さんの高校受験に対するモチベーションの向上に繋がり、努力の末、市内の進学校である苫小牧東高校へと進学します。

失敗した大学受験、紆余曲折を経てオオムラサキ館へ

高校時代も昆虫が好きなことは変わらず、勘違いもそのままでしたが、北大生目指して勉強や部活、昆虫観察に明け暮れる青春時代を過ごします。

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写真の鳥の模写は川名さんが描いたもの。中学・高校ともに部活動は美術部で静物画が得意だった。オオムラサキ館の随所に、川名さんの遊び心が広がっている(写真:長広大)

しかし大学受験は、数学といった理系科目が苦手だったことが致命的となり、大学入試センター試験に失敗。二次試験への挑戦も難しく、北大生の道は断たれることになります。

意気消沈している川名さんでしたが、そこに友人が北海道の恵庭市にある「北海道エコ・動物自然専門学校」のパンフレットを持ってきました。ファーブルの森が職業体験先として記載されていることを発見し、「ここだ」と飼育員の道へ光明を見いだすことになります。他の大学に進学や浪人という選択ではなく、素直に飼育への道を求めるため専門学校へ進むことになります。

専門学校へ進み、自分の進路を明確にした川名さん。しかし専門学校のカリキュラムと自分が学びたいもののギャップに悩まされます。当時は苦手だったガイド向けの授業が多く、鳥類や植物の調査実習など、大好きな昆虫に触れる授業が少なく、悔しがる日々も多かったようです。

それでも、踏ん張ってこられたのは村井雅之先生のおかげで、村井先生の自由な発想に基づく授業が自身の肌に合っていました。

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昆虫採集に勤しむ専門学校時代の川名さん。専門学校で一番受けたかった授業は「トンボ学」だったが、残念ながら入学時のカリキュラムには無かった。卒業研究は、実家が養蜂所を経営している同級生と農業高校出身の同級生と3人で、ミツバチやスズメバチ、チョウの研究を行った(画像提供:川名いつみ)

就職活動では、思わず訪れた幸運を掴むことになります。栗山で募集していた地域おこし協力隊の中に、ファーブルの森の飼育員の募集があったのです。当然、川名さんはそれに応募し、一時は働くことが決まりかけていました。しかし、大好きなおじいさんの体調が優れなかったこと、もともと体が弱い川名さんを心配する家族や親戚から、公務員を薦められたこともあり、悩みに悩んだ結果、飼育員の道をあきらめ、公務員の道へ選ぶこととなります。

公務員に進んだ川名さんでしたが、事務仕事の中でも、心の中に常に昆虫がおり、悶々とする日々が続きます。仕事を初めて1年目の冬には、大好きなおじいさんは亡くなってしまい、しばらく心を閉ざす日々が続いていました。

おじいさんを安心させるために選んだ公務員でしたが、おじいさんが亡くなったことにより、心の枷(かせ)が外れ、自分の進路に正面に向き合えるようになります。そんな中、偶然にもオオムラサキ館の求人を見かけることとなります。発見した後は素直な気持ちで求人に応募し、周囲から驚きや反対の声もありましたが、公務員の職を投げ捨て、オオムラサキ館で飼育スタッフとして働くこととなります。

昆虫の魅力と栗山の子ども達への羨望

念願の昆虫を飼育する仕事に就いた川名さん。その川名さんに昆虫の何が好きなのか尋ねたところ「観察しがいがある」とのことで、昆虫の顔や足の動きをじっくり観察することが、川名さんにとって最も楽しい時間の過ごし方になります。

一つの昆虫に対し、5分、10分と見続けることできる集中力は「好きこそものの上手なれ」という言葉どおり。「昆虫と戯れていると自分も虫になった気分になる」と語る川名さんにとって飼育係は天職のようです。

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取材中も、オオムラサキや幼虫を触れているときは無言になることが多かった。その行動が、昆虫の観察が好きだという表れでもある(写真:望月貴文)

取材後、川名さんがふと発した「栗山の子ども達はいいですよね。ハサンベツ(里山)があって」という言葉。学校の授業の中に、水生生物の観察や自然と触れ合う機会が多い栗山の子どもは、自分の子どもの頃と比べ恵まれている、という羨望の言葉を聞くと、昆虫に魅了された女性の一つの理想郷が、ここ栗山にあるのだと実感することができます。

※ 本稿は、2021年7月9日に行った取材をもとに作成しています。

文章・写真:望月貴文(地域おこし協力隊) 写真:長広大(同左)

オオムラサキ館の基本情報

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住所:〒069-1501北海道栗山町桜丘2丁目38番地5(栗山駅より車で約5分)
電話:0123-72-3000
期間:通年 ※休館日:火曜日、祝日の翌日、年末年始
時間:一般利用10時00分~17時00分 (団体利用は22:00まで)
入館料:無料
HP:https://www.facebook.com/kuriyama.omurasakikan/

オオムラサキ館の内部を見ることができるパノラマ画像もあります。


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