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#11 挫折と苦悩から生まれた切り絵という選択|くりやまのひと

栗山町には、北海道最古の酒蔵である小林酒造があります。その敷地内にある「小林家」の中に、1人の切り絵作家の作品が展示されています。作家の名前は小林ちほさん。

ちほさんの作品は「ギャラリーまる田」内に小林家の常設展示されている(撮影:西村さやか)

裁縫好きなお母さんの影響もあり、幼少期から手仕事が好きだったちほさん。今回は、切り絵の世界へ飛び込んだ原点や制作活動の源流についてお聞きしました。

手を動かす興味から美術の道に

ちほさんは栗山町の出身。短い間でしたが幼少期は栗山の地で育ちます。小学校のころに江別に住所を移しますが、栗山にはちょくちょくおじいちゃんとおばあちゃんの元に泊まりに来ていたようです。

小学生の頃から手を動かすことが大好きなちほさんは、中学生は美術部に所属していました。高校も美術部の活動が盛んな学校へ行きたいと、偶然見つけた音威子府村にある「北海道おといねっぷ美術工芸高等学校(以下、おと高)」の1日体験入学に参加。在学生が制作した作品の多くに感銘を受け、おと高へと進路を決めました。

切り絵は、挫折と苦悩からの産物だった

音威子府は、自宅のある江別から200km以上の距離があるため、ちほさんは親元を離れて高校生活をスタートさせます。おと高は全日制の工芸科のため、日中は木工芸や美術の授業に時間が割かれます。放課後は目的でもあった美術部の活動に没頭し、高校生活の多くの時間を制作活動に費やすこととなります。

憧れと期待に満ちて美術部に入部したちほさんでしたが、活動を続けるうちに、自分の能力に疑問を抱き始めます。

部活動では油絵を描いていたんですけど、1年の終わり頃から「私って油絵、下手だな」と強く感じるようになって、先輩や同学年の子たちと比べると「私って全然才能無いんじゃないか」と実感するようになってきたんですよね。寮生活に馴染めなかった時期も重なって、学校を辞めたいと思うことも多くありました。絶望しかけていたんですけど、美術をするために音威子府にきたんだから逃げ出したら母に迷惑がかかるし、先生に(部活を)辞めたいと言える勇気も無くって「自分で解決しなきゃ」と、もがいていました。

もがき苦しんだ中で生まれた一つの活路・・・ちほさんは、中学時代に読んだ雑誌に切り絵が紹介されていたのを思い出します。

切り絵は、部活内で誰も制作しておらず、先生も専門ではありませんでした。「自分一人だけなら、どのように制作を続けても他の人と比較しなくても良いし、これなら部活を続けることもできる」と考えるようになり、考え抜いた上、満を持して切り絵を始めます。以来、切り絵はちほさんの制作の中心として行うようになりました。

高校時代の作品「ニキビ」。2011年の美工展という作品展で新人賞を受賞した(画像提供:小林ちほ)

ちほさんの切り絵の原点は、もともと好きで始めたというものではなく、ちほさんなりに考えた、高校生活を生き抜くための処世術でありました。

切り絵は完全に独学の状態からスタートした。切り絵に使う紙がどのようなものが良いかを画材屋にある紙を1枚1枚確かめた結果、紙質や厚みバランスや使いやすさからタント(TANT)[1]を選んだ。ちほさんはこのタントを現在も愛用している(撮影:西村さやか)

自由な環境の中で制作に打ち込めた大学時代

「高校生活は苦しさの連続だった」と語るちほさん。大学進学を希望していましたが、当時は進路に向けて行動する余力は無く、卒業後は、1年間の充電期間を経ることとなります。

充電期間中は、自宅から通える範囲で芸術系の学部がある大学を探し、北広島市にある道都大学(現・星槎道都大学)を選びます。道都大学はおと高のOB・OGも多く進学しており、オープンキャンパスなどを通じて他校と比較したなかで、校風が自分に合っているのではないか、という理由で進学を決めます。

当初は、切り絵以外の活動も模索していたようですが、デザインナイフ一つから作業ができる切り絵が、自分に馴染むことを悟り、大学生活でも切り絵の制作に没頭することになります。

大学内にも切り絵を専門とする教員がおらず、高校時代から引き続き独学で制作を続けることになりますが、教員から親身に制作研究の相談やアドバイスを受けることができました。

大学時代は、高校時代にあった苦しみとは無縁であり、自由な環境の中で自分の制作活動の幅が広がった4年間であったと語ります。

母校の縁で生まれた人生の転機

ちほさん自身、切り絵は「大学卒業まで」と決めていました。卒業後は、江別にある会社で会社員として社会人生活をスタートさせます。

しかし半年が過ぎ、ちほさんに人生の大きな転機が訪れることになります。音威子府村の教育委員会から「村民向けの切り絵教室の講師をしてもらえないか」という連絡があったのです。

教室に向けた準備のため、しばらく使っていなかったデザインナイフをもって紙を切ると「やっぱり、私はこれ(切り絵)がしたいんだな」と、正直な感情がちほさんの中に芽生えたと言います。

音威子府での教室を終えて感情を整理したところ、ちほさんは「切り絵を続けていきたい」と明確な意思を固めます。勤めていた職場を退職し、切り絵作家としての道を歩むことになりました。

社会人として仕事をしながら切り絵も続けていける、と思われるかもしれないですけど、私は器用な人間ではないので、両立できないと感じていました。定年後とか年齢を重ねてから切り絵に戻るにしても、細かいものを見るので、目の調子が良い若いうちにしないとダメだなと考えて、思い切って切り絵一本でいこうという結論に至りました。母や家族が背中を押してくれたのも大きいです。

切り絵一本で活動を始めたちほさん。学生時代から入賞歴はありましたが、プロとしても実績を重ねていきます。

思い入れの1つとして「第28回紙わざ大賞」(2018年)という作品展があり、ちほさんの作品「おはよう」特種東海製紙賞に選ばれました。

ちほさんは切り絵に使う「タント」。その紙を作る特種東海製紙株式会社から受賞したことは、高校時代から切り絵を続けてきたちほさんにとって、感慨深いものだったと言います。

特種東海製紙賞のトロフィー。白い部分は「紙が積重なった断面」で、メーカーの遊び心満載の一品だ(撮影:西村さやか)

昨年(2022年)は、作品「おいで」が「第3回国際切り絵コンクール in 身延 ジャパン トリエンナーレ2022」で優秀賞を受賞し、山梨県身延町にある「富士川・切り絵の森美術館」に所蔵されることになりました。

自分の作品が成長する喜びを探求

今後も作品展には継続して出品していくようですが、ちほさんの喜びの源流は「自分の表現が向上を実感する」ことにあります。

ちほさんの現在の作風は、切った紙を積み重ねることで、厚みを持たせ写実的な作品に仕上げています。写実的な表現へ変わっていたのは、大学を卒業してから。切り絵を始めた当初(高校時代)は、抽象的で紙を重ねる表現も無く、現在とは大きく異なります。

「現在の作風にした当初は、色の重ねることも少なかったですけど、今では多くの色で表現しており、昔と今の作品を見比べてみて『おお~、私成長してるじゃん』と心の中で喜んでいます(笑)」と語るように、ちほさんは、自分の経験を踏まえた中で新たな表現の探求を重ねています。

画像提供:小林ちほ

作品名「きこえる」(写真・上)と制作に使用するスケッチブック(写真・下)。制作活動の多くがこのスケッチブックに集約されており、撮影したモチーフの写真をトレス(なぞり写)して、どのような色を重ねるか思考錯誤を重ねる。ちほさんは「この作業が一番つらいんですよね」と言っていたが、この工程は作品に息を吹き込む大事な工程であり、スケッチブックは作品づくりの心臓といってもよい。(写真下:西村さやか)

新色への表現に期待を膨らませ

ちほさんに「これからも同じような作風で続けていくのか」と、尋ねたところ。

2019年に私が普段使っているタントに新色が生まれたんです[2]。これまでの150色に加えて、新たに50色が増えました。200色になって色の幅が広がることになったので、これからは新色を使った表現に挑戦していきたいですね。

次なる挑戦に向けて期待を膨らませるちほさん。今後は栗山で個展も開催したいとも語っていました。ちほさんが織りなす切り絵の世界は、これからどのような成長を遂げていくのでしょうか?

撮影:西村さやか

注釈
[1]特種東海製紙株式会社の登録商標(商標登録第6560951号)
[2]特種東海製紙株式会社「TANT新色50色発売のご案内

小林ちほさんの活動履歴

●主要活動歴
2011年
 第38回美工展 新人賞
2013年
 第40回記念美工展 佳作賞
 国際切り絵コンクールin身延ジャパン 入選
2014年
 第41回美工展 奨励賞
2016年
 国際切り絵トリエンナーレ2016 in 身延ジャパン 入選
2018年
 第28回紙わざ大賞 特種東海製紙賞
2019年
 個展 「帰寮」 エコミュージアムおさしまセンターBIKKYアトリエ3モア(音威子府村)
2019年
 第29回紙わざ大賞 入選
2021年
 個展「語り」JRタワーホテル日航札幌 TOWER’S GALLERY(札幌市)
2022年
 いい芽ふくら芽 in SAPPORO オーディエンス賞
 第3回国際切り絵コンクール in 身延 ジャパン トリエンナーレ2022 優秀賞
 グループ展 いい芽ふくら芽受賞者展 大丸札幌店美術画廊(札幌市)

※ 本稿は、2023年1月12日の取材をもとに、広報くりやま2023年3月号で掲載した内容を加筆しています。また、北海道空知地域創生協議会が配信する「そらち・デ・ビュー」にも掲載しています。

文章:望月貴文(地域おこし協力隊) 写真:西村さやか(同左)

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