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#12 自己の対峙の中で身に付けたものづくりの世界|くりやまのひと

デジタルファブリケーションをもっと身近に

栗山町には「まちの未来を開拓する担い手づくり」の拠点として「ファブラボ栗山」があります。


朝日にあるあさひ工房から、2023年4月1日に栗山煉瓦創庫「くりふと」に場所を移し、デジタルものづくりの市民工房として本格的に多くの町民に利用される存在となりました。

ファブラボ栗山には、工房を支えるインストラクター複数がいますが、鈴木敦文(あつふみ)さんもその一人。栗山町地域おこし協力隊(ファブラボ栗山運営支援員)として、栗山でデジタルファブリケーション[1]を広める活動しています。

鈴木さんは「広報くりやま2022年11月号」の特集やくりやまのおとの「とくしゅう」でも掲載している。

今回は、鈴木さんからものづくりを始めたキッカケやファブラボ栗山でどのような表現していきたいかを聞いてみました。

プログラミングは心の平静を保つ手段だった

鈴木さんは神奈川県逗子市の出身。お父さんお母さんともにプログラマーというものづくりの家庭の中で育ちました。

ものづくりに触れるのは7歳の頃から。恵まれた環境の中でものづくりに没頭し、将来的に両親と同じプログラマーの道を歩むことになりました。

話しを聞いて「さぞ、両親の影響を受けて大好きなプログラマーの道に望んで進んだのかな」と思いを尋ねてみると…そうでは無いようで、プログラマーを選んだのは、心の平静を保つために続けた結果と語ります。

小学生の頃から精神的な病気により、多くのことにやる気が起きず、不器用であったため、一人では何もできず、家族や友人の助けなしに生活することが難しい状態でした。その中で、ものづくりは唯一やる気がおきて、続けるうちに次第に没頭していくことで大好きになりました。プログラミングもその一つで、いま思うとプログラマーになったキッカケとしては後ろ向きだったと感じています。

プログラムを学んだのはプログラマーの両親ではなく、母方の叔父さんに強く影響を受けたといいます。当時の鈴木さんから見て、叔父さんは面倒見の良い人であったと同時に、大変好奇な人物でした。

叔父さんは長い間プログラマーとして働いており、その後フリーのプログラマーとして活躍していました。幼少期の頃から家に遊びに来るといつもデバイスをくれたり、今でも半導体不足の影響で入手困難な種類のマイコン(半導体チップ)をたくさん持っているため、僕の元へ送ってくれたりしてもらいました。また、叔父さんの自宅に自作サーバーを立てて、試作のアプリを使うネットワーク環境を構築していて、そのサーバーを利用させてもらっていたりしていました。社会人になった現在では、週に一度はオンラインで書いたコードをレビューをしてもらったり、近況を報告をしたりと、僕の師匠的な立場でいてくれています。プログラマーになってからはより叔父さんの影響が大きくなっています(画像:西村さやか)

プログラマーの世界に疑問を感じファブラボの世界へ

ものづくりに没頭することで自身の心の支えを作った鈴木さん。作業を継続することで、自分の興味のあるもの・ないものにキチンと向き合えるようになりました。

僕は、興味のあるものと無いものがはっきりしていて適正テストとかでも得意不得意がはっきり見えたりしたんですよね。学校の授業もそうで、中学生とか高校生では文系の科目は大の苦手で、物理とか理系科目だけは得意でという感じで、進路も自然と理系になりました。

高校卒業後は、機械工学の学部がある大学へ進みます。得意分野の関係からメカトロニクスと呼ばれる制御系の学部を選択しました。大学卒業後は、これまで培ったものづくり経験と知識と活かして、両親や叔父と同じプログラマーの道に進みました。

しかし社会人としてプログラマーとして活躍するにつれ、自分の周りのコミュニティはすごく閉鎖的なものと実感するようになりました。

プログラマーの仕事は、専門的な仕事のため外部からは評価がされにくいということや、客観的にレベルの高いことをしているが、世間的には説明・理解されづらいものが多いこと、結果を示したとしてもそのコミュニティの中でしか評価されないという世界であり、大学時代から感じていた違和感が社会人生活の中でより実感することとなりました。

プログラマーとして歩む上で、自分に足りないものや時代の変化に対応するためどうすればよいか思案していたところ、大学時代から関心があったファブラボ(栗山)の地域おこし協力隊の募集を見かけます。すぐさま応募し、熱心に思いを担当者へ伝えたことで採用が決まり、2021年10月に地域おこし協力隊として着任することとなります。

ファブラボ栗山で地域の課題に向き合う

栗山におけるファブラボの活動は、これまで自分が抱いていたプログラマーとしての違和感を払拭させる出来事が多くあったといいます。

ファブラボの世界は、自分の作品や成果を関わる人がキチンと評価されることいろんなバックグラウンドを持った人たちが自由に参加できること、作るものが明確でオープンソースとして世界中の人に提供できることが活動の中で盛んに行われ、鈴木さんにとって新鮮な経験や時間となっています。

ファブラボにある機材やインストラクターとしてのスキルは、同じ隊員の指導や協力関係にあるファブラボ鎌倉からアドバイスを受けつつ、ファブアカデミーを卒業することで身に付けることができました。

半年間に渡って学んだファブアカデミーでは、デジタルファブリケーションの基礎の多くを学習しました。課題に追われながらも、幅広い技術を身に付けることができた経験は、今後の自分が歩むものづくり人生にも深く影響していると言います。

鈴木さんはファブアカデミーでは、自動分別機「AI ソーター」を制作した。カメラで画像認識したものを事前に学習させたAIによって仕分けをする機械で、ゴミの分別をはじめ、ペットボトルキャップの色分けや野菜の規格を仕分けることにも応用できるように考えたという(動画元:FabLab Kuriyama)

ファブラボで地域の課題に取り組む

鈴木さんは現在「地域課題プロジェクト」として、町民の困り事をデジタルファブリケーションの文脈から解決しようと試みています。

その第一弾として、町内在住の電子音楽ユニット「木箱」とコラボし「フレキシトーン」という電子楽器を製作しました。

写真:西村さやか

「フレキシトーン」(写真上部)は、3Dプリンター等に使用されている「ステッピングモーター」を活用し、パソコンに接続したMIDI鍵盤(写真下・右下)を介してMIDI信号を送ることで、音色を奏でることができる(写真:西村さやか)

現在は町内の農家と連携して、ビニールハウスに使用できるIoT[2]デバイスも開発しています。

「人の役に立つため、人の手助けをしたい」と前向きに語る鈴木さん。その理由は、幼少期の頃に見続けていたアメリカンコミックが始まりのようです。

子供の頃からアメリカンコミックが原作のアニメや映画をよく見ており、大人になった今でも大好きです。僕は現場を後方から支援する通称「椅子の男」と呼ばれるポジションに憧れを持っているんですよね。幼少期の頃から、自分が家族や周りから支えられていたということもあって、今度は自分がそうなりたいなと思うこともあります。自分はあくまでも裏の人として、スキルを活かして、栗山で活動する人を支えられる人になりたいです

幼少期の自分を乗り越えた手段であるものづくりと、家族への感謝を原動力に、鈴木さんは栗山の地で自分が信じる道を歩み始めています。

[注釈]
[1]デジタルデータをもとに創造物を制作する技術のこと。3Dスキャナーや3D CADなどの測定機械により、自分のアイデアや個人の身体データ等をデジタルデータ化した上で、そのようなデジタルデータを3Dプリンターやレーザーカッターなどのデジタル工作機械で読み込んで造形する(引用:総務省(2016)「情報通信白書(平成28年)」)
[2]従来インターネットに接続されていなかった様々なモノ(駆動装置、家電製品、電子機器など)が、ネットワークを通じてサーバーやクラウドサービスに接続され、相互に情報交換をする仕組みのこと

[参考文献]
SAyA-kibaco-「ファブラボ栗山で自作電子楽器製作:『フレキシトーン』」note

※ 本稿は、2023年4月27日の取材をもとに、広報くりやま2023年6月号で掲載した内容を加筆しています。また、北海道空知地域創生協議会が配信する「そらち・デ・ビュー」にも掲載しています。

文章:望月貴文(地域おこし協力隊) 写真:西村さやか(同左)


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